いい人では、一流は務まらない

どうも、管理人のドングリコロコロです。

今回は、誰もが一度は憧れた事がある『一流』というモノについて、

管理人なりの考えと見解を書いていこうと思います。

一般的なイメージ

『一流』とは何かに於いて、頂点に位置する地位の事です。

常に努力を惜しまず、自らの才能を遺憾なく発揮し、

社会から成果を認められ、一般の人達からは憧れと尊敬の

念を抱かれる存在です。

誰もが一度は目標として憧れる存在ですが、

実際に周りから『一流』と呼ばれる地位につける人は、

ほんの一握りです。

だからこそ『一流』の称号には価値があるのです。

常に競争に晒(さら)される

スポーツ競技を例に挙げてみましょう。

互いに競い合い、高め合う中で切磋琢磨し、勝負に挑みます。

そして必ず競技には勝者がいれば、敗者がいます。

勝者には地位と栄光と名誉が与えられ、

敗者は、持っている全てを失う事となります。

やがて、勝ち続けるものだけが残り、

負け続けるものは競技という舞台から、去る事を余儀なくされます。

そんな中で長きに結果を出し続けられたものだけが、

『一流』として評価されるわけです。

誰かを引きずり下ろし、蹴落とさなければならない

先程も書いたように、『一流』とは、

誰もが憧れ羨む、ごく一部の限られた地位です。

その限られた地位に就くためには、既に『一流』と呼ばれている、

誰かを引きずり下ろし、自らが『一流』と成るしか無いのです。

そして、『一流』と成った者は、常に明日の『一流』を目指す者達を、

蹴落とさなければなりません。

そうしなければ自分が引きずり降ろされ、

『一流』という地位を奪われるのです。

かつて自分がそうしてきたように・・・

このように競い合い切磋琢磨して手に入れた『一流』の地位だからこそ

価値があるワケです。

競い合いもせずに、なれ合いやが談合手に入れた『一流』の地位など

何の価値も無く、社会から羨まれる事もありません。

『一流』という地位を得るためには、『一流』という地位を守るためには、

時には非情に徹しなければならず、

勝負の舞台を追われる事となる敗者の事を感情的に推し量れるような、

俗に言われる『いい人』では務まらないのです。

実際の社会では・・・

話を戻します。

資本主義とは競争社会です。

その中で互いに競い合う事で、より良いモノを、

より早く、より安く、商品やサービスを提供しようとしているわけです。

その中で、『一流』と呼ばれる社員や会社は、

スポーツ競技と同じように、競争に勝ち続けてきた事になります。

会社の中の出世競争に勝ち残るため、

社員の生活よりも会社という組織を守るため、

社会の経済競争に勝ち残るため、

スポーツ競技の世界以上に非情な決断を強いられてきた事でしょう。

やはり『いい人』では務まらないようです。

まとめ

『いい人で務まるのは二流まで!

一流はいい人では務まらない!』

この言葉は入社当時、職場の上司から言われた言葉です。

現実を知らない当時は、「そんなことはないだろう・・・」

と考えていましたが、現在ではその言葉の意味が

よく分かります。

『選択する』とは、何かを選ぶために、他の何かを選ばないという事です。

『一流』という皆が望み、羨む立場を手にいれるため、

『一流』と呼ばれる人達は、多くの『選択』を

せざる得なかったのだろうという事は

想像だに容易(たやす)い事ではないでしょうか。

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

意見、感想、『希望のテーマ』等ございましたらお寄せ下さい。

今後の更新の参考にさせて頂きます。

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