「選択」するという事

どうも、管理人のドングリコロコロです。

さて、自分は今まで色んな事を『選択』して来ました。

今日の晩御飯、明日の予定、そしてブログを更新するか否か、

それは皆さんも同じだと思います。

でもそれらの『選択』はどのようにして決めたのか?

はたしてその『選択』は正しかったのか?

今回は『選択』について書いていきたいと思います。

出来ない事

子供の頃から出来ない事、苦手な事に直面した時

どのように対処してきたでしょうか?

当時は勉強や運動が出来なかったら、教師や両親、クラスメイトから

とても非難されたものです。

今思えば、とても些細な事なのですが・・・

社会に出てからは、一般的に当たり前とされている事や

相手の気持ちを察するといった人間関係の事について、

理解できずとても苦労しました。

克服するという『選択』

上記のような出来ない事に直面した時、

管理人のが場合はそれらを克服しようと、時間と労力を要して

それらを克服しようとしました。

一般的に『努力』するという事です。

しかしいくら努力を重ねても、克服には至らなかったのです。

詳しく言うと、周りの人間や世間一般的な、

レベルにまで達する事は無かったのです。

『やめる』という選択

今にして思えば、苦手な事・出来ない事を克服するには、

通常の二倍、三倍もしくはそれ以上の努力を要します、

学生時代ならいざ知らず、社会人ともなると

いくら努力をしようが、結果が伴っていなければ

評価してもらえる事はありません。

(賛否両論あるかと思いますが、少なくとも管理人の場合はそうでした)

それらの時間や労力をもっと別の事に使っていれば、

自分の得意な事に使っていれば、

今とは違った結果、自分自身が満足いく結果に

結びついていたかもしれません。

つまり、向いていないと分かった時点で、それ以上は頑張らない

やめるという『選択』をしてもよかったのではないかという事です。

得意な事を『選択』する

何か一つの選択肢を選ぶという事は、

他のすべての選択肢を放棄するという事です。

苦手な事を克服しようとするという事は、

得意な事を放棄するという事にもなりかねません。

以前『時間について』でも書きましたが、

人の一生の間に与えられた時間というのは、決して長くはありません。

苦手な事を克服するのに費やす、時間と労力を得意分野に向ければ、

社会一般的に成果を得られるかもしれません。

逆に苦手な分野を克服して、

さらに社会一般的に評価してもらえる水準にまで高めるには、

並々ならぬ努力が必要で、物語的には美談ととらえられていても、

現実的には不可能に近い事ではないでしょうか?

まとめ

一般的に社会というのは、何事も分け隔てなく熟(こな)す事が出来る

普通の人材を好みます。『会社が普通を求める理由』参照

しかし、障害がある事が分かった今では、

普通であることを求めずに、自分の得意な事を追及した方が

いいのではないかとも考えています。

最後まで、ご賢覧ありがとうございました。

この文章が、読んで頂いた方の少しでもお役に立てれば光栄です。

意見、感想、『希望のテーマ』等ございましたらお寄せ下さい。

今後の更新の参考にさせて頂きます。 

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カテゴリー:障害

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